郡上発の和牛を育む繁殖農家を継承
藤村 和矢さん
出身:岐阜県郡上市
就農年月:2015年
飼育している家畜:黒毛和牛
インタビュー
Interview
畜産農家を継ぐ仲間と出会い、今も交流
私の実家は、繁殖牛約90頭を飼育し、生まれた子牛を年間60~70頭ほど出荷する繁殖農家です。子どもの頃から畜産の仕事を手伝っていた私は、いつか実家を継ごうと東京農業大学へ進学しました。大学には、私のように畜産農家出身の学生が多く、現在も全国で家業を継いだ仲間と交流を持ち、情報交換をして経営の参考にしています。
大学卒業後は、郡上市の市営牧場で研修を受け、実践を重ねました。研修を受けながらも、実家の手伝いを続けていましたが、やはり子牛はデリケートですぐに病気にかかるため、二足の草鞋を履いていては子牛の世話がおろそかになると感じ、実家の経営に専念することを決意。2015年に父から経営を譲り受けました。
繁殖農家は、血統や系統の情報を見ながら、相性のいい牛を交配させます。私は、おいしい肉になるようにイメージを膨らませ、虚弱な子牛にならないよう、無理のない交配をすることを心がけています。子牛が生まれたら、8~9カ月間元気に育てた後、肥育農家へ出荷しています。
1頭1頭異なる牛を育てる難しさとおもしろさ
繁殖農家にとって、自分の農場から種牛となる雄牛が選ばれるのは、大きな名誉であり1つのロマンです。藤村牧場では、2011年に誕生した「白藤85」という雄牛が種牛に選ばれました。この牛は曾祖母からうちで世話をし、ずっとその血筋を守ってきた牛。それが選ばれた時のうれしさはひとしおでした。牛は、同じように世話をしても、1頭として同じものはおらず、個体差や性格まで違ってきます。種付けをしてみないと、どんな牛が生まれるかも分からないため、難しさはありますが、私はそこに面白さを感じています。
また、生まれたての子牛は本当にかわいく、この姿を見られるのが繁殖農家のいい点だと思います。子牛は寒さにも暑さにも弱いため、夏は扇風機をつけたり、冬はネックウォーマーを着けたりと、子どもを育てるような気持ちで健康管理をしています。肥育農家へ出荷する時は、子どもを送り出すような感覚ですが、やはり市場で高く評価される牛に育つことは、何よりの喜びです。肥育農家さんとのつながりを大切にし、「いい牛だったよ」と教えてくれる情報を次の交配に生かしています。
地域で受け継いできた血統を守り、雄雌共によりよい牛に
郡上市は、昔から牛の畜産が盛んな土地でした。自然環境は牛の成長にも大きく影響するため、澄んだ空気と美しい水に恵まれた郡上は、畜産に最適な場所だと思います。しかし近年は、高齢化で畜産をやめる農家も増え、頭数がどんどん減少。そこで、若手農家で地域の特色を大切にし、地域を盛り上げていければと、昔からの血統を学んだり、畜産を続けてきた先輩農家の話を聞いたりする勉強会を開いています。
郡上には、羅威傳王というこの地域で生まれた肉質のいい雄牛がおり、代々その血を守ってきました。その子どもである福糸桜王を生かし、郡上発の牛を増やして残していこうという動きも始めています。牛の改良は、とても時間がかかる地道な作業。地域を挙げて取り組み、次世代の雄づくりにつなげていけたらと思っています。
また私個人では、毎年岐阜県の畜産共進会という品評会に参加しています。私は母牛になる前の若い雌牛の部に、毎年2~3頭を出場させ、上位入賞にチャレンジ。プロポーションに磨きをかけるためにシャンプーをしたり、審査の間にじっとしていられるように調教したりと、努力を重ねています。こうした挑戦も、日々のモチベーションにつながっています。
種雄牛に守られてきた「飛騨牛」の歴史
岐阜県の和牛は、昭和56年に兵庫県から「安福号」が導入された頃から改良を重ね、全国トップクラスの地位を確立しました。「安福号」は“飛騨牛の父”とも呼ばれ、4万頭以上の良質な牛肉を世に輩出したほか、その血を引く牛もコンテストで優秀な成績を残しています。その後も、安福号系の「飛騨白清」はもちろん、安福号以外の系統でも郡上の「羅威傳王」など優秀な種雄牛がつくられ、県内各地で飛騨牛ブランドを守っています。